2009年06月17日

助六(すけろく)は、歌舞伎の演目の一つの通称

『助六』(すけろく)は、歌舞伎の演目の一つの通称。本外題は主役の助六を勤める役者によって変わる

江戸の古典歌舞伎を代表する演目のひとつ。「粋」を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つで、その中でも特に上演回数が多く、また上演すれば必ず大入りになるという人気演目である。

『助六』は歌舞伎の形式上「曾我もの」の演目となっている。そのため侠客の助六が「実ハ曾我五郎」で、白酒売りは「実ハ五郎の兄 曾我十郎」という、ややもすると荒唐無稽な設定になっている。しかしそれは歌舞伎における「世界」の指定という、設定上の伝統的な決まり事であって、『助六』は実際の曾我兄弟の仇討ちを題材にしたものではなく、また史実の曾我五郎時致が花戸川助六のような痛快な色男だったという史料も伝承もない。
化学物質過敏症
特定疾患
オーケストラ
バーベキュー
スキンケア
学童保育所
衛生
合気道
ホスピス
試写会
材料科学
システム工学
哺乳類
クリスマス
遺伝子疾患
食品添加物
ボクシング
履歴書
バレーボール
労働組合

助六のモデルではないかと考えられている人物は三人いる。江戸浅草の米問屋あるいは魚問屋の大店に大捌助六(おおわけ すけろく)あるいは戸澤助六(とざわ すけろく)という若旦那がいたという説、京・大坂でその男気をもって名を馳せた助六という侠客だとする説、そして江戸・蔵前の札差で、粋で気前のいい文化人として知られた大口屋暁雨(おおぐちや ぎょうう)だとする説である。

このうち、史家の多くは第一の助六を否定する。その理由の一つが「助六」という名。これは上方でならありそうな名だが、江戸の「粋」の感覚からはどうにも野暮な名なのだという。なにしろ、そもそもは「風流を好む人」または単に「好事家」という意味だった「好き兵衛」(すきべえ)という語を「助平」(すけべい)と読んで、意味も「好色な」と変えてしまったり(これが「スケベ」の語源)、「おっとり者で世間知らず」という意味の「順禄」(じゅんろく)という漢語を「甚六」(じんろく)と読んで「総領の甚六」という新語を作ってしまうのがお江戸である。粋でいなせで水も滴る色男の名が「助六」ではさまにならないのだ。

京坂の助六はというと、江戸の幡随院長兵衛と並び称されるほどの侠客だったというから、江戸時代初期に実在した人物であることは想像に難くない。これが総角(あげまき)という名の京・嶋原の傾城と果たせぬ恋仲になり、大坂の千日寺で心中したのが延宝年間のことであるという。ただし詳細は伝わらず、したがって異説も多く、助六は侠客ではなく大坂の大店・萬屋(よろずや)の若旦那だったとする説、総角は大坂・新町の太夫だったとする説、そして事件も心中などではなく喧嘩で殺された助六の仇を気丈な総角が討ったものだとする説など、さまざまである。

大口屋暁雨は実在が確認できる人物で、寛延から宝暦年間に江戸の芝居町や吉原で豪遊して粋を競った18人の通人、いわゆる「十八大通」の一人に数えられている。「暁雨」は俳名で、実の名を治兵衛(はるべえ)といった。俳諧や書画骨董に通じた文化人で、たいそう気前も良かった。特に二代目團十郎の贔屓筋だったことから、彼の勤める舞台ならどんなに客入りの悪い興行でも木戸札を買い上げてくれた。そうしたことから二人は親交を深めるようになり、江戸では次第に「團十郎の助六は大口屋を真似たもの」という噂が広まる。暁雨の方も助六そっくりの出で立ちで吉原に出入りし、「今様(いまよう)助六」などと呼ばれてご満悦だったという。どちらがどちらを先に真似たのかは不明だが、いずれにしてもこの頃から助六の鉢巻が大口屋の好んだ江戸紫に染め直されたというから、その影響を看過することはできない。

大口屋暁雨の存在の大きさは余程のものだったらしく、明治になると彼自身が歌舞伎の題材にされている。福地桜痴作の『侠客春雨傘』がそれで、主人公は「元は札差の大口屋の若旦那で治兵衛といったが、今ではその名もとどろく侠客・暁雨」という設定。実名での登場だが、過去に存在したといわれる他の二人の助六のモデルの素性までもがすべて一束把にされているのはご愛嬌である。

2009年05月31日

台地北端に立地する大坂城では

台地北端に立地する大坂城では、北・東・西の3方は台地上にある本丸からみて低地になっている。北の台地下には淀川とその支流が流れており、天然の堀の機能を果たすとともに、城内の堀へと水を引き込むのに利用された。

大坂城は、豊臣氏が築城した当初の城と、その落城後に徳川氏が再建した城とで縄張や構造が変更されている。現在地表から見ることができる縄張はすべて、江戸時代のものである。ただし、堀の位置、門の位置などは秀吉時代と基本的に大きな違いはないとされている。

縄張は輪郭式平城であり、本丸を中心に大規模な郭を同心円状に連ね、間に内堀と外堀を配する。秀吉は大坂の市街から天守がよく見えるよう天守の位置、街路などを工夫したとも伝えられている。

台地の北端を造成して築城した大坂城の防衛上の弱点は大軍を展開できる台地続きの南側で、西方から南方を囲むように惣堀がめぐらされ、冬の陣直前には玉造門の南方に真田信繁により半月形の出城「真田丸」が構築された。果たして冬の陣はこの方面から攻めかかる徳川方と篭城の豊臣方との間で激戦となった。
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大坂城の天守は現在までに三度造営されているが、いずれも外観、位置等が異なる。以下に記した。

豊臣大坂城のものと見られている平面図「本丸図」では、山里曲輪とを隔てる本丸の詰の石垣沿い、本丸の北東隅に描かれている。天守台いっぱいには建てられず、若松城天守のように余地を残して天守曲輪を持っていたと考えられている。天守は、複合式もしくは連結式望楼型5重6階地下2階であったと考えられており、外観は、黒漆塗りの下見板張りで、漆喰壁部分も灰色の暗色を用いて、金具や、瓦(金箔瓦)などに施された金を目立たせたと考えられている。一説には、壁板に金の彫刻を施していたというものもある。なお、5階には、黄金の茶室があったと言われている。

立説には、大坂夏の陣図屏風(黒田屏風)、大坂冬の陣図屏風、大坂城図屏風などが参考にされている場合が多い。特に大坂夏の陣図と冬の陣図では天守の姿が大きく異なっているため、夏の陣のものは再建または改築されたものであるといい、それに沿った復元案も研究者などから出されている(三浦正幸説)。黒田屏風の姿に近い宮上茂隆の復元案は、大阪城天守閣内の豊臣大坂城再現模型のモデルになっている。

2009年04月27日

3つのラグランジュ点は2体

最初の3つのラグランジュ点は2体を結ぶ直線に垂直な平面内でのみ安定である。これはL1での場合を考えると分かりやすい。L1に置いたテスト粒子を中央の直線に垂直な方向にずらすと、元の平衡点に戻ろうとする方向に力を受ける。これは2体の重力の横方向の成分が足し合わさって引き戻す力を生むためである。一方、軸に平行な成分は互いに釣り合って打ち消し合う。しかし、L1に置いた物体を2体のどちらかに近づくようにずらすと、近づいた方の物体から受ける重力は強まり、より近くへと引っ張られる。これは潮汐力の場合と非常に似ている。
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L1, L2, L3は名目上は不安定な平衡点だが、少なくとも制限三体問題では、これらの点の近くに安定な周期軌道が存在することが分かっている。これは完全な周期軌道で、ハロー軌道と呼ばれる。太陽系のような制限なしの多体力学系にはこの軌道は存在しない。しかし、準周期的な(束縛されているが正確に同じ軌道を繰り返し描くわけではない)リサジュー軌道はN体系にも存在している。この準周期軌道はこれまで行われたラグランジュ点を使う全ての宇宙ミッションで実際に使われてきた。この軌道は完全に安定ではないが、比較的小さな労力で長期にわたって目的のリサジュー軌道に宇宙機を留めておくことができる。また、少なくとも太陽‐地球系のL1を使うミッションでは、厳密にL1に宇宙機を置くよりも大きな振幅(100,000?200,000km)を持つリサジュー軌道に置いた方が実際に好都合であることが分かっている。なぜなら、この軌道に置くと宇宙機は太陽と地球を結ぶ直線から外れた位置に保たれるため、地球と宇宙機との通信に太陽が干渉する影響を減らすことができるからである。

対照的に、L4とL5は2体の質量比M1/M2が24.96より大きければ安定な平衡点になる。太陽-地球系や地球-月系など、たいていの場合2体の質量比はこの条件を満たしているので、そのような系ではこの2点は安定である。L4, L5にある物体に摂動を与えると物体は平衡点から離れるが、物体が運動を始めるとコリオリの力が働いて物体の軌跡を曲げ、(回転する座標系から見て)インゲン豆型の安定な軌道を描く。

2009年04月11日

星雲

星雲(せいうん - Nebula)は、宇宙空間に漂う重力的にまとまりをもった、宇宙塵や星間ガスなどから成るガスのこと。

概説 [編集]
星雲は、光を放たない暗黒星雲と光を放射あるいは付近にある恒星などの光を反射する散光星雲とがある。また、恒星から放出されたガスによってできた惑星状星雲及び超新星爆発の結果生まれる超新星残骸といったものもある。

銀河(galaxy)もかつては星雲と呼ばれていた。これは、銀河の正体が長らく解っていなかったために銀河も星雲の1つの形態に過ぎないと考えられていたためであるが、近代になり銀河は我々の太陽系のある銀河系の外にある天体であることが判明し、それ以降は銀河系外星雲(系外星雲)と呼ばれるようになった。この名残で、例えばアンドロメダ銀河のことを「アンドロメダ星雲」と称する事がよくある。現在では、このような系外星雲は銀河と呼ばれるようになり、星雲と銀河の区別が明確になっている(銀河のことを星雲と呼んでいた歴史については、銀河の観測史に詳しい)。

なお、本項で扱っている星雲(Nebula、現在において星雲と呼ばれている天体)に関しては、銀河である銀河系外星雲に対して銀河系内星雲(系内星雲)と呼んでいた。

アマウ クチュール カートゥ ヌクレア ロデックス シフォン サーチ気球 ぎおん ミルキー バルコニー シェア クロモジ ジアス ゲードル じょうそう ドキュメ サクラソウ ハーフ デニム フォトジ ちとせ モンター ローブ レモン パラオ キッチュ マンノ ソテツ 江戸一 フェデ バンデージ スムーズ テレオ ドット ヤマブ チューニン オーダー バックミラ ニョリータ ネベ幸 ボール ニビル ギアシフト がかい あかぼり ビューロ ビロウ バンカ ユーラトム シーディー

2009年03月27日

スエビ族

スエビ族(Suebi)とは、古代ヨーロッパの民族。「シュエビ」「スウェイビア」とも呼ばれる。

タキトゥスの『ゲルマーニア』に言及があり、所謂ゲルマン系に属する民族として描かれるがケルト系の説もあるなど、その民族系統は不明である。

歴史 [編集]
陸路、あるいは、海路からイベリア半島のガラエキア(現ガリシア)地方に411年に定住した。419年に、アラン族とヴァンダル族を追放し、原住民やローマ人とガラエキアを分割し、農村地帯を支配したといわれる。5世紀中葉に最初の全盛期を迎え、ガラエキアにとどまらず、現アストゥリアス地方西部、現カスティーリャ・レオン地方西部と現ポルトガルの北部にまでその版図は及んだ。

448年、アリウス派の西ゴート王国に対抗して、スエビ王レキアリウスはカトリックに改宗した。しかし、456年西ゴートに首都ブラカラ(現ポルトガル北端部)を占領され、レキアリウスは囚われて、457年ポルトゥカレ(現ポルトガル北端部)で殺害された。一方、ガラエキアでは、マルドラによって新王朝が建てられて、西ゴートの朝貢国になったり、西ゴートと共存を図ったりし、6世紀末までその王朝を維持することができた。マルドラ王朝は、純粋にスエビ族であったのか、若干混血しただけで、スエビの王権を主張したかは不明だが、後者の可能性が強いと考えられている。

マルドラの子、レミムンドゥスは、再びアリウス派に改宗したが、6世紀中葉にカトリックの影響力が強まったことや、正統教義を奉じるフランク王国や東ローマ帝国との交流があったことで、再びカトリックに改宗した。576年頃から西ゴートの攻撃が始まり、最後のスエビ王アンデカは、西ゴートの王位継承争いでカトリックに改宗したエルメヒルドを応援し、西ゴート王レオビヒルドに対抗したため、ブラカラとポルトゥカレを占領されて、王位を剥奪され、王国は585年に滅亡した。

また、ライン川付近にある南ドイツのシュヴァーベン、スイス、アルザスに定住するアレマン族の先祖の一派がスエビともいわれる。
キーワ マラガ エンドロ せきがく ゆずりは シリアス パンパ ミント 春紫苑 ヒッピ マスタ ビューロ シーア ネーム たこあし スミス ビリティ ニッパー パンチ メチエ マフラー ガビアル きがん デュープ ナップ キーポイ うぐい ラティーノ テキスト キミと僕 サイトリー バーミュ マティ たいこう トトス フォーク ジンキケロ バランス フラッペ ルネサ シンシティ メリット トーン ファントム ジャングル エレジー タンク タール 光夜宴 プルーフ

民族系統 [編集]
タキトゥスの『ゲルマーニア』ではゲルマニア文化に属する民族として記載されている為、長らくゲルマン系として扱われていた。しかし「ゲルマニア」は後世に判明した事実とは異なる部分が多く、スエビへの言及についても疑問が持たれている。

タキトゥスより後の歴史家カッシウス・ディオは、「スエビ人はライン川に定住するまではケルト人と呼ばれていた」と述べており、ケルト系民族である事を示唆している。

2009年03月12日

カゼルタ宮殿

カゼルタ宮殿 (イタリア語: Reggia di Caserta)は、イタリアカンパニア州カゼルタ県カゼルタにあるブルボン家のナポリ王が建てた宮殿。18世紀にヨーロッパで建てられた中で最も巨大な宮殿といわれる。1996年、UNESCO世界遺産に登録された。
バース むぐら ティラミス スカーレット テキーラ 吉日 メルルー ももいし 高潔 サーチ花粋 オーラップ フロア ブイヤ マデイラ シュロ コムタン 滝の白糸 西村 ネガ トール いこて ツリフネソ ミドル マインド ビッグ ラット レックス 夾竹桃 キエフ ラクーン ブルガリ チョッパー メンデル バリウ モルガ ピュアコ バグダッド ひおき マイナ トウガラシ なんぽろ ライフボート ルミッ リアダ ステロール ジャスミン 水玉シャツ ジャンボ シプル パスボール

宮殿の建設は、1752年にナポリ王カルロ7世(のちのスペイン王カルロス3世)の命令で、お抱え建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリ指揮のもと始められた。カルロ7世は、ヴァンヴィテッリの作った宮殿の模型を見て『胸から心臓を引き裂かれるような』深い感動を覚えたという。結局、カルロ7世は宮殿で寝泊まりすることのないまま1759年にスペイン王位に就き、建設が終わったのは彼の三男フェルディナンド4世(のちの両シチリア王フェルディナンド1世)の代になってからだった。

ヴァンヴィテッリが、政治的にも社会的にも宮殿の理想としたのはヴェルサイユ宮殿だった。多様性と性質に注目すべき違いがあった。格調高い付属した自然のバロック風の眺めに面して、小さな都市の社会的建築物を伴うどっしりとした建物の中に宮廷と官公庁を入れ、王のために供給される物と集められる物との似たような問題を解いたのである。カルロ7世が育ったマドリードの王宮はフェリペ5世のためフィリッポ・ユヴァーラによって、シャルロッテンブルク宮殿をモデルに考案された。広々とした八角形の玄関は、ヴェネツィアにあるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂に触発されたように思える(聖堂内のパラティン礼拝堂が、しばしばロベール・ド・コット作ヴェルサイユ宮の王室礼拝堂と比較される)。

宮殿建設の動機は、カゼルタに王国の新たな行政上の壮麗な首都をつくることにあり、宮廷が海からの攻撃を避けるためであった。王は、カゼルタ宮に劇場、巨大図書館、大学をつくることに決めた。

ヴァンヴィテッリは1773年に死に、建設は彼の子カルロ・ヴァンヴィテッリが継いで1780年に完成した。完成したとき、宮殿は1200部屋と24の国の庁舎、のちにナポリのサン・カルロ劇場がモデルとしたという付属劇場があった。

カゼルタ・ヴェッキアの人口は、新宮殿を中心として10キロメートル四方に広がった。サン・レウチョでは絹織物の繊維工場が隆盛を極め、現在工場は展示館となっている。

20キロメートルの長さがある大通りは、ナポリと宮殿をつなぐためだったと言われている。

宮殿は、247メートル×184メートルの長方形の平面図をもつ。四方は2つの直角のアームでつながれ、中庭が4つありどれも3800平方メートル以上ある。 建物外側の弓状の連なりと合致したファサード後方に、巨大な前庭が広がる。ごちゃまぜになった建物は、日常業務を円滑にするようにと建てられた物である。左手の弧は兵舎として建てられた。ここは後に、第二次世界大戦中にアメリカ軍第5師団が休息センターとして接収していた。

王宮部分の全てはヴェルサイユ宮殿に触発された物で、カゼルタ宮殿は原型を追従する最大のものである。いまだ建築当時のままである欄干のある眺め、長い変化のないファサードの中にある装飾的構造物によってわずかな壊れ目が用意されている。ヴェルサイユのように、広大な水路が驚くべき水辺の展示のために水をひきこんで成り立っている。宮殿はフランスと同じく、真のバロック様式として、不朽のブルボン王家の権威を象徴する場として設計された。カゼルタにおける誤りは、王の階であるピアノ・レアーレより上にある。この階は他の階と等しい建築的価値と雄大さがある。後期バロックのサローニは、国の富を見せつける場所であると同様、政府の中心地であった。宮殿は王家の私室と、ナポリ王家宮廷とにあてられており、宮殿敷地内には政府庁舎や国立図書館、大学、国立劇場が建てられていた。これらは、ナポリの無秩序やむさくるしさから切り離されていた。カゼルタでのナポリ王は、パリの喧噪から逃れたルイ14世と同じやり方で、首都の暴徒と内紛から離れていられたのである。その上、規模と華美さから、内陸の利点を生かし、ナポリ湾に面し海からの攻撃を避けられないかつての王宮よりさらに防御的になった。王のために、宮殿敷地内に護衛用兵舎が建てられた。今日、広大な中央エントランスの車道は市の循環道路の中に編入されている。

庭園は典型的なバロック様式で、120ヘクタールあり、丘陵地形である。ヴェルサイユ庭園に触発されたものだが、美しさにおいては勝っているとみなされている。公園は宮殿の後方ファサードに始まり、人口の噴水と滝のある長い小道が片側を通る。上部分は、1780年代にカルロ・ヴァンヴィテッリとジョン・グレアファーが設計した英国式庭園がある。ジョン・グレアファーは、ジョゼフ・バンクスによりナポリ駐在のイギリス外交官ウィリアム・ハミルトンに推薦された人物で、造園家である。この庭園は、初期にヨーロッパ大陸に造られた英国式庭園である。

噴水と人口滝はどれも井戸によって満たされている。ルイージ・ヴァンヴィテッリによる建築と水圧学のたまもので、距離のある広い運河から水平線上に水が引かれている。サンクト・ペテルブルク郊外のペーターホーフ宮殿に対抗したものといわれている。有名な噴水として以下のものがある。

ディアナとアクタエオンの噴水 - パオロ・ペルシコ、ブルネッリ、ピエトロ・ソラーリの彫刻
アフロディテとアドニスの噴水(1770年-1780年)
イルカの噴水(1773年-80年)
アイオロスの噴水
セレスの噴水
像のほとんどが、古典的な古物をモデルとしてガエターノ・サロモーネが王宮庭園のためにつくったもので、大規模な工房で創作された。

2009年02月23日

新世紀GPXサイバーフォーミュラ

水素エンジンや常温超伝導モーターなどの無公害エンジンとナビゲーション用人工知能を搭載した車による、F1とは別カテゴリーの自動車レース「サイバーフォーミュラ」が人気を集めている近未来、父が開発したサイバーフォーミュラマシン「アスラーダ」に偶発的に操縦者として登録されてしまった主人公風見ハヤトはサイバーフォーミュラに参戦し、挫折と勝利を繰り返しながら成長していく。
キネテ 紅葉の旅 菊座おり しぼり キューシ チェリー シンボル オートキプ ニース オレン よぶすま ラン タイト フォール オムレツ フーガ グマー ディム ドナルドック かみす ラビ ふじ豆 エッグ エッジボール レプラ タロッ 全国通 タウン ガーネット スイッチ デニム マハラ ロール コロンブス タスク フェーン パツ バルカン スケッチ タロー プレッピ ロッタリ メッキ しとみや スイー ロード ハドロン ゆうじょ テーベ

風見ハヤト(かざみ -)(金丸淳一)〔スゴウアスラーダ 2015-17→ スゴウウィナーズ 2018-19→ スゴウグランプリ 2020-21→ スゴウGIOグランプリ 2022-〕
偶然アスラーダのドライバーとして登録されグランプリに参戦(TVシリーズ)、2015年開催の第10回世界選手権の第5戦で初優勝を飾り、数々の苦難を乗り越え初年度から総合優勝を飾る。翌年(『11』)も総合優勝を果たし、ダブルワンチャンピオンとなる。2017年序盤(『ZERO』冒頭)に「ゼロの領域」に足を踏み入れランドルと大クラッシュし重傷を負い、一時引退するも復帰。加賀との死闘を経て「ゼロの領域」を克服する。2020年(『SAGA』)には「アルザード事件」を乗り越え、4年ぶり3度目の総合優勝。2022年(『SIN』)には「サーキットの若き帝王」と呼ばれるほどのトップドライバーとなる。
TVシリーズから『11』までは明るく活発な少年だったが、『ZERO』での大怪我を乗り越えた頃から徐々に落ち着いた性格へと成長していく。ただしレースに対しては熱く負けず嫌いな性格で、成績が低迷すると周囲に当たるなど多少自分勝手な面もあった。『SIN』ではそれも乗り越え、心身共に大人へと成長している。CDドラマなどでは天然ボケが目立つ。恋愛に関してはあすか以外には無関心で、篠原めぐみとアンリが交際していると勘違いするなど疎い。『SIN』のラストであすかと結婚した。
第10回GPX1位(43P)、第11回GPX1位(46P)、第12回GPX3位(40P)、第13回GPX4位(37P)、第14回GPX2位(54P)、第15回GPX1位(64P)、第16回GPX1位(76P)、第17回GPX2位(70P)。総合優勝4回、通算80戦34勝、430ポイント(2022年まで)。勝ち星が飛びぬけて多く、勝率が4割を超えている傑出したドライバーであることがわかる。総合優勝を複数回達成しているドライバーは風見の他、設定上ジョン・クリーブとピタリア・ロペ(各2回)のみで、この点でも風見の総合優勝4回という記録はずば抜けている。
菅生修(すごう おさむ)/ ナイト・シューマッハ(速水奨)〔ユニオンセイバー 2015→ アオイZIPフォーミュラ 2016→ スゴウグランプリ(監督)2017-〕
元はミッシングリンクのF1ドライバーだったが、素性を隠しサイバーフォーミュラに参戦。デビュー戦となった2015年の開幕戦で優勝を飾り、第2戦も2位に着け、一躍チャンピオン候補となるが、第3戦と第4戦の間に負傷し離脱。F1に復帰するも、この負傷が原因で視神経に異常を来たしていたことを知る。自身にレーサーとしての余命が少ないことを悟り、ハヤトにレーサーとしての厳しさを教えるため、2016年(『11』)の第5戦からサイバーフォーミュラに復帰。シーズン途中からの参戦であるにも関わらず、瞬く間に勝利を重ねチャンピオン争いに加わる。最終話では視神経の限界のためレース終盤から目を瞑ったまま、サイバーシステムの音声ガイドのみを頼りに走るという離れ業を見せ、最終コーナーまでトップを争いつつ完走を果たした。
レーサーとして数々の実績を残しており、相当な自信家。『11』でシューマッハとして再登場した際は、高飛車な挑発で度々ハヤトを激昂させた。レーサーとしての技術は相当のものであり、正攻法はもちろん、ランドルに対する予選の妨害やスタートでのフェイントなどダーティーな一面も見せ、ハヤトが真のレーサーになるための超えるべき存在としてあらゆる手を見せた。『11』の2016年最終戦を終えるとそのまま引退し、『ZERO』においてはスゴウチームの監督となる。『SAGA』で視神経の手術を受け、監督を兼務したままテストドライバーとしてサーキットを走るまで回復、ガーラントのテストもこなしていた。
カセット・CDドラマではタイミングのいい電話や説教癖をネタにされていた。シューマッハ時代のサングラス(にあやかったもの)は、『ZERO』以降もユニオンから偽名で参戦した選手が着用する(ただし正体を隠す役には立っていない)などの形でたびたび登場する。
名前の由来はミハエル・シューマッハ。まだ頭角を表す前のシューマッハの名前を採用したものだが、当人のF1デビューは本作スタッフの予想以上に早かったという。TVシリーズ終盤では、放送当時のミハエル・シューマッハの所属チームであるベネトンにいる描写がある。
サイバーフォーミュラに参戦したのは9戦のみだが通算5勝し、風見ハヤトすら上回る勝率を誇る。デビュー戦での優勝は、他にランドル、フリッツしかない(2位も日吉と加賀のみ)。怪我がなければ優勝候補の1番手になれた実力者。
新条直輝(しんじょう なおき)(緑川光)〔アオイフォーミュラ 2015-19→ ユニオンセイバー 2020-22→ アオイZIPフォーミュラ 2023-〕
風見と同じくTVシリーズ第10回選手権でデビューし、初優勝は第4戦と風見より早かった。当初は葵今日子といつも一緒で嫌味ばかり言っていたが、第7戦にその葵今日子によりBチームに落とされてからは性格が一変。努力家で浮き沈みが激しく、「新条=苦難、不幸」が定番となった。その度にミキや加賀に叱咤されて立ち直っていたが、2020年の第15回選手権開幕前(『SAGA』序盤)にアオイチームの新オーナーとして現れた名雲によりチームを解雇された際には、自分1人で立ち直って修行のためにアメリカへ渡って行った。その第15回選手権の第11戦でユニオンより復帰し、名雲が持ち込んだアルザードを下して復帰戦を見事優勝で飾り、以後は表彰台の常連となる。
アオイの中でもエリートとしてサイバーフォーミュラに参戦したため、当初は風見のことを見下していたが、風見が凄まじいスピードでトップドライバーとして上り詰めていく一方で、新条は努力しても結果が出ず、落ち込んでは周囲の人間に慰めてもらい立ち直り、しかし結果は出ず…と心の弱さが大成を阻んでいた。しかし『SAGA』でアオイを解雇されて渡米し、レースの本場を経験することで精神的に大きく成長。『SAGA』終盤でのサイバーフォーミュラ復帰後は常に優勝争いに加わり、風見の強力なライバルとなる。
スゴウのチーフメカニックだった城之内みきとは、シリーズを重ねるにつれて公私共に欠かせないパートナーとなる。実家が茶道の家元であるため茶道の経験もあり、冬はちゃんちゃんこを愛用。
あだ名の変遷が激しく天才→地味な天才、若武者→落ち武者(アンリ曰く)と落ちていった。ワールドチャンピオン経験者であり他の年も結果はある程度の結果は残しているがイマイチ目立たない。新条の一番の不幸は風見、加賀、ランドルと同じ年にデビューしたということだろう。
第10回GPX2位(41P)、第11回GPX2位(45P)、第12回GPX1位(68P)、第13回GPX5位(35P)、第14回GPX5位(36P)、第15回GPX8位(14P)、第16回GPX3位(54P)、第17回GPX4位(35P)。総合優勝1回、通算82戦11勝、328ポイント(2022年まで)。デビューからの3年は総合2位、2位、1位と風見に次ぐ成績と言える。チームメイトが加賀、シューマッハ、ランドルと速いドライバーばかりなのも目立たない原因。実際にチャンピオンタイトルをとった時のチームメイトはレンツだった。
加賀城太郎(かが じょうたろう)/ ブリード加賀(関俊彦)〔アオイZIPフォーミュラ 2015、2018-20、2022〕
逆立った原色の派手な髪が特徴。クラッシュレースではかなり有名なレーサーで、ハヤトとは少女誘拐事件で初めて出会う。その後は助っ人キャラ的な扱いであったが、2015年の第10回選手権・第7戦からサイバーフォーミュラに参戦。しがらみを嫌って同年最終戦で故意にリタイア、以後インディーに転進する。2年連続チャンピオンを獲得した後、2018年(『ZERO』)にサイバーフォーミュラに復帰し、初のシーズンフル参戦。ハヤトと「ゼロの領域」で戦い、終生のライバルとなる。2022年の第17回選手権(『SIN』)でハヤトと死闘を繰り広げ、それに打ち勝ちチャンピオンタイトルを獲得、引退する。
荒っぽいドライビングながら技術は高く、『11』ではスーパーアスラーダ01で走りながらハヤトのスーパーアスラーダ11を上回るタイムを出し、『ZERO』では新条の解雇がかかった1戦で新条のサポートに徹し、マシンをあの手この手で操り、上位マシンを軒並みリタイヤさせた。
飄々とした人懐っこい性格でハヤトの兄貴分の存在であり、加賀もハヤトのことを弟のように思っていたが、『ZERO』でハヤトが「ゼロの領域」に目覚め、それを克服したことで、ハヤトを良き友人であり、良きライバルとして見るようになる。TVシリーズの最初の頃は金にうるさい描写が多かったが、後にはそれほどでもなくなった。乱気流や埃を使ったダーティーなプレイもあった。照れ屋で女性に対しては割と奥手。
かつて加賀とともに「ゼロの領域」に踏み込んだ相沢英二とのクラッシュがトラウマとなっていたが振り切る。その相沢の息子の北斗との会話では復帰を示唆する内容も。
第10回GPX7位(16P)、第13回GPX2位(61P)、第14回GPX4位(43P)、第15回GPX4位(33P)、第17回GPX1位(72P)。総合優勝1回、通算40戦9勝、225ポイント(2022年まで)。見た目のドライビングスタイルとは裏腹に完走率が高いドライバーである。初めてフル参戦した2017年以降も2021年はアオイの出場停止があったため、フル参戦した年数は5年に留まる。2022年にも1戦欠場している。
カール・リヒター・フォン・ランドル / プリンス・ローゼンクロイツ(松岡洋子)〔ユニオンセイバー 2015- 2018のみローゼンクロイツでの出場〕
あらゆるスポーツ大会で優勝を総なめにしてきた天才児で、ハヤトと同じ14歳の最年少ドライバーとしてサイバーフォーミュラにデビューした。
2015年(TVシリーズ)の第10回選手権・第6戦からシューマッハの後釜として参戦、サイバーフォーミュラ史上初となるデビュー戦でのポールトゥーウィンを飾る。あすかに惚れ込み、ハヤトをライバル視したことがサイバーフォーミュラに参戦した動機で、あすかのキスを賭けてハヤトと勝負するなど当初はハヤトに対して挑発的であった。2016年(『11』)には開幕当初は選手権をリードしたものの、その後シューマッハの策略に度々はまってノーポイントレースを重ね、前年同様に最終戦までタイトル争いには加わったもののタイトルを逃している。2017年序盤(『ZERO』冒頭)にハヤトとクラッシュし引退するが、翌年の最終戦において偽名で復帰。以後、ユニオンのオーナー兼ドライバーとして参戦する。速いが爆発力に欠けるためチャンピオン経験はない。
家は由緒ある貴族でお坊ちゃまゆえの我侭もあるが、女性に対しては紳士。ミッドナイトレースで遭難していた新条とミキを助けるなど意外に友情にも厚い。ハヤトに対しても、TVシリーズの最終戦で認めて以後は、『11』や『SAGA』でハヤトが成績低迷で周囲に当たるたびに登場しては苦言を呈し、遠回しに励ましている。ランドル本人は『11』においてシューマッハに圧倒されたことでスランプに陥ったことがあるが、ハヤトやグレイスンの叱咤もあってそれを克服して以後は「挫折を経験したことのない天才」という弱点が消えるとともに、予選で1アタックのみ行うような以前の極端な不遜さも影を潜め、真摯にレースに取り組むようになった。
当初は言葉遣い、物腰、作法、どれをとってもお坊ちゃまで、レース中にピットインしてはティータイムを楽しむほどのマイペースぶりだったが、『SAGA』の頃になると言葉使いに粗野が目立ち、ピットインでのティータイムでは一気に飲み干しカップを放り投げて行くなど、少し乱雑な性格になり始めている。
第10回GPX3位(40P)、第11回GPX4位(42P)、第12回GPX6位(22P)、第13回GPX(Pなし)、第14回GPX3位(51P)、第15回GPX2位(62P)、第16回GPX2位(56P)、第17回GPX3位(37P)。総合最高位2位、通算78戦10勝、310ポイント(2022年まで)。その速さに比べ意外と勝ってない。ここぞというバトルに弱いという印象はぬぐえない。
ジャッキー・グーデリアン(島田敏)〔スタースタンピード 2012-15→ シュトロゼック・プロジェクト 2016→ シュトルムツェンダー 2017-〕
アメリカ出身のドライバーでワイルドな走りを得意とする。反面単独スピンもあり自滅も多い。2016年(『11』)にはライバルのハイネルの誘いに乗ってシュトロゼックに加入、2019年(『SAGA』冒頭)の第14回選手権で念願のチャンピオンタイトルを獲得する。
根っからの陽気。3枚目だがプレイボーイでいつも女性を連れているが、綾やルイザには敬遠されている。ハイネルとはよくケンカをするが、互いに信頼しているため深刻な事態にはならない。現役ドライバーの中でサイバーフォーミュラ参戦歴が最も長い。
トランクスは星条旗模様。実家はスーパーマーケットチェーンを経営しており、ポイントが貯まるとグーデリアンのサインが貰える(あまり評判は良くない)。
モデルはナイジェル・マンセル。
第7回GPX5位、第8回GPX5位、第9回GPX4位、第10回GPX6位(22P)、第11回GPX5位(33P)、第12回GPX2位(55P)、第13回GPX6位(34P)、第14回GPX1位(71P)、第15回GPX3位(51P)、第16回GPX5位(31P)、第17回GPX5位(31P)。総合優勝1回、通算111戦11勝、328ポイント(2022年まで、第10回以前の優勝数、ポイントは不明のため含まず)。百戦錬磨だがドライビング自体は昔と変化がない。以前はハイネルと、『SAGA』あたりからはランドルとよく絡んでリタイアする。
フランツ・ハイネル(置鮎龍太郎)〔所属不明 2011→ZIPレーシング 2012-14→ S・G・M 2015→ シュトロゼック・プロジェクト(監督兼マシンデザイナー → 兼ドライバー)2016-19→ シュトルムツェンダー 2020-21→ ドライバー引退、監督兼マシンデザイナーに専念 2022-〕
自ら設計したマシンで参戦し、後に自分のチームを結成するなど多才な面をみせる。「走る精密機械」の異名をとるが、意外に熱くなりやすい性格でリタイアも多かった。ランキングでグーデリアンを上回る年もあり、ドライバーとしても有能だが監督兼デザイナー兼ドライバーはきついようで、後年は尻すぼみだった。
普段は髪を逆立てているが、マシンに乗る時はヘルメットをかぶるために下ろしている。設定上は「伊達メガネ」ということになっていたが、レース中もメガネあるいはスポーツゴーグル(『SAGA』)を着用しているため、真偽は不明。妹のリサには頭が上がらない。
同じデザイナーとしてクレアが気にかかっているが、彼女の思考にはついていけない。
モデルはアラン・プロスト
第7回GPX6位、第8回GPX9位、第9回GPX3位、第10回GPX5位(24P)、第11回GPX10位(2P)、第12回GPX4位(38P)、第13回GPX3位(39P)、第14回GPX8位(16P)、第15回GPX6位(24P)、第16回GPX6位(24P)。総合最高位3位、通算101戦3勝、167ポイント(2022年まで、第10回以前の優勝数、ポイントは不明のため含まず)。多才すぎて飛びぬけなかった例といえる。自分で製作したマシンを自分でテストできる優位性があるのだが、イマイチ有効に活用できていない。
大友譲二(おおとも じょうじ)(富田晃介)〔アルバトロスDDT 2014-15→(CF引退、解説者を経てラリードライバーに)〕
新条が優勝した2015年の全日本グランプリで2位となり、新条、風見とともにその年の第10回世界選手権からサイバーフォーミュラに参戦(TVシリーズ)。オフロードコースでは強く、「サーキットの野生児」「オフロードの鬼」といった異名を持つが、サイバーシステムに頼らないという無謀なことをしていたため、世界選手権において成績は振るわなかった。第9戦ドイツGPで風見と共に大クラッシュを起こしサイバーフォーミュラから身を引く。復帰後はレースリポーターを経て、ラリードライバーとなる。
『11』では成績低迷で悩むハヤトにアドバイスに登場した。『ZERO』ではオープニングの映像には登場したが本編には現れず、以降のシリーズでは全く登場していない。
北海道出身で鞄にはいつも食べ物(乳製品)が入っている。
第10回GPX9位、4位が最高。第11回よりオフロードが撤廃になったため、ラリー転向は正解といえる。
エデリー・ブーツホルツ(龍田直樹)〔ミッシングリンク 2015-2022→ スゴウGIOグランプリ 2023-〕
F1レースの事故で左目、左腕を失ったが義眼、義手をつけてレーサーとして復帰。その恩義からミッシングリンクのスミスの悪事に手を貸し、アスラーダを狙っていたが、菅生修とのマッチレースを境に改心し、レースに全力を注ぐ。ミッショネルは目立った最新技術もなくエンジンパワーも劣り、他のトップチームには性能で差をつけられているが、ブーツホルツは度々上位に食い込む。これはひとえにブーツホルツの腕である。サイバーフォーミュラでは最年長であるが本人は40歳まで走ると宣言。第18回大会からスゴウに移籍した。
当初は不気味な雰囲気を漂わせていたが、スミスと手を切ってからはベテランとしての落ち着いた存在感を見せている。義眼・義手が大型でサイボーグのような外見(『超人機メタルダー』に登場したトップガンダーに似ている。)だったが、『SAGA』で最新技術を駆使したものに取り替えられ、より違和感のない外見に変わっている。
酔うとコサックダンスを踊る。
ジョセフィーヌというネコを飼っている。
修やクレアとはF1時代からの友人で、『SIN』の最後では2人でシューマッハのサングラスをかけ修をからかっていた。
第10回GPX8位(15P)、第11回GPX6位(23P)、第12回GPX5位(37P)、第13回GPX7位(25P)、第14回GPX6位(21P)、第15回GPX5位(29P)、第16回GPX4位(34P)、第17回GPX6位(26P)。総合最高位4位、通算92戦1勝、210ポイント(2022年まで)。大ベテランと言われるが、第17回大会時点でもまだ29歳である。スゴウ移籍により以前より勝てるマシンを手に入れた今後の活躍が期待される。

2009年02月07日

赤松義則・赤松満祐・赤松教康・赤松政則

赤松 義則(あかまつ よしのり、1358年(正平13年/延文3年) - 1427年10月11日(応永34年9月21日))は、室町時代前期の守護大名。父は赤松則祐。母は佐々木道誉の娘。官位は上総介。左近将監。大膳大夫。左京大夫。兵部少輔。
ナビイサク シュレッ ながしの ステータス プロト イ短調 スプリ ジスト タープ ルテイン リストア スープ オプティ フェア マグナム プロトン メラノ プロローグ オール アップ ジボソン シュプ チャプチ レット サルコメア シアン ディア ピクチャ オムガイド インソ オーナ アマ ビルダー オペック バック らんこし ブエノス コッヘル フォー シルバー ビジホン たまごいろ パーマ ヒサカ ジャンル ハスキ アリスム 便利に生活 クロス バッファ

1371年、父・則祐の死により家督を継ぐ。1391年、明徳の乱では弟の赤松満則と共に幕府軍の一翼を担い、山名氏清討伐で大いに武功を挙げた。これにより将軍・足利義満から翌年、山名義里領であった美作国を与えられた。さらに侍所所司に任じられ、幕政にも参与している。この義則の時代に、赤松氏は播磨国・備前国、そして美作を領する有力守護大名に発展したのである。天授6年(1380年)には弥勒寺本堂(重文)を(再建)。1427年9月21日、70歳で死去。法号は竜徳寺延齢性松。後を子の赤松満祐が継いだ。

ちなみに義則は、身体が極端に小さかったため、赤松三尺入道と称された。

赤松満祐
赤松 満祐(あかまつ みつすけ、弘和元年/永徳元年(1381年) - 嘉吉元年9月10日(1441年9月25日))は、室町時代の播磨・美作・備前の守護大名である。父は赤松義則。子に赤松教康。生年は文中2年/応安6年(1373年)説もある。

二度に渡って侍所頭人(所司)を務め、幕府内の長老格として権勢を振るうが、1427年には将軍足利義持が満祐の所領を没収して寵愛する赤松持貞に与えようとすると、満祐は京都を出奔して領国の播磨へ下り追討令が出る事件を起すが、翌年には赦免されている。

義持の後を継いだ弟の足利義教は有力大名を誅殺し、播磨の国一揆を鎮定に向かっている途中に領地を没収されて一族の赤松貞村に与えると言う風聞が起こり、1441年に結城合戦の祝勝会として義教を自邸に招き、暗殺した(嘉吉の乱)。その後は領地の播磨国へ逃れて足利直冬の孫とされる足利義尊を新将軍に奉じて対立するが、幕府方が派遣した細川氏、山名氏などに敗北、降伏を拒み、城山城(たつの市)にて切腹自殺する。

また、徳川綱吉と並んで、日本の歴史上の人物で低身長症(軟骨無形成症)だったのではないかという伝聞があり、そのコンプレックスから、足利義持・足利義教と2代に渡って将軍に反抗したのではないかとの説もある。

赤松教康
赤松 教康(あかまつ のりやす、1423年(応永30年) - 1441年10月14日(嘉吉元年9月29日))は、室町時代中期の武将。嘉吉の乱で有名な赤松満祐の子。通称は彦次郎。

1441年、父の満祐や叔父の赤松則繁と共に将軍・足利義教暗殺に中心的な役割を果たした。しかし直後、山名宗全を総大将とした幕府軍の追討を受けて、父の満祐は自殺したが、教康は満祐の命を受けて、赤松氏存続のために縁者に当たる伊勢国の北畠教具のもとへ逃亡したが、教具は幕府からの討伐を受けることを恐れて教康を匿うことを拒絶。これにより絶望した教康は伊勢で自殺して果てた。享年19。

赤松政則
赤松 政則(あかまつ まさのり)は、室町時代後期の武将であり、播磨の守護大名・戦国大名である。
康正元年(1455年)、赤松満祐の弟・赤松義雅の子・赤松時勝(赤松性存)の子として生まれる。赤松氏は嘉吉元年(1441年)に赤松満祐が室町幕府第6代将軍・足利義教を殺害するという嘉吉の乱で幕府軍に攻められて滅亡していた。そのため、父の時勝と政則は京都建仁寺で養育されていた。

長禄の変
長禄2年(1458年)、赤松家旧臣である石見太郎、丹生屋帯刀、上月満吉らの尽力で後南朝から神爾を奪回した功績により、9月に赤松一族である政則の家督相続が許され、政則は加賀半国の守護大名として赤松家を再興することとなった。

応仁の乱
寛正6年(1465年)に元服する。文正元年(1466年)、細川勝元らにより第8代将軍・足利義政の近臣であった伊勢貞親や禅僧の季瓊真蘂らが政界を追われる文正の政変が起こると、政則も失脚した。しかし、勝元の支援を受けることで政界に復帰する。応仁元年(1467年)からの応仁の乱では、東軍(細川勝元側)に与したことにより、赤松氏の旧領であった播磨・備前・美作を回復する。文明3年(1471年)には侍所頭人に任じられる。

山名氏との対立
ところが播磨をはじめ、山陽に勢力を回復したために山陰に勢力を張る宿敵・山名政豊との対立・抗争が起こり、応仁の乱の収束後も抗争は続いて、文明15年(1483年)に浦上則宗より福岡城への救援を求められたが、援軍を送る一方山名氏の本領である但馬攻めにこだわり真弓峠にて山名政豊に大敗し、逆に播磨へと追撃されて福岡城も陥落してしまった。その失策により浦上則宗・小寺則職ら重臣らがいったん実権を握り、政則は堺へと出奔した。則宗は一族の有馬澄則を擁立する動きを見せるなど分裂の様相をみせるが、この内紛を突いた山名氏の進撃により窮地に陥った為、足利義政の仲介により政則と和解する。その後5年に渡る攻防が続き、長享2年(1488年)に山名勢を駆逐して領国支配体制を確立した。

従三位へ
第9代将軍・足利義尚、第10代将軍足利義材にも仕え、軍奉行として従軍するなど勲功を重ね、明応2年(1493年)、堺に在陣中に細川政元の妹である洞松院を娶る。洞松院は竜安寺の尼僧から還俗。このとき30歳を越えており、不器量で有名であった。この婚姻の際も「天人と思ひし人は鬼瓦 堺の浦に天下るかな」との落首が京都で貼られたという。明応3年(1494年)には従三位に叙位される。

明応5年(1496年)4月25日、播磨加西郡坂田の長円寺で病死。享年42。

子に赤松村秀があったが庶子だったため、一族の七条家からの養子である赤松義村が後を継いだ。六道珍皇寺寺に肖像画所蔵がある。

人物・逸話
将軍・足利一門以外の武家の三位叙位は、政則が初である。
能や猿楽を奨励するなど一流の文化人として名を馳せるが、猿楽師を家臣にしようとして家中での反感を買ったこともあった。
大名にしては珍しく刀工としても一流で、名工・長船宗光に師事したと言われ、後世に幾つかの名刀を残している。そのほとんどが家臣に与えられたものである

赤松義村
赤松義村(あかまつ よしむら、生年不詳 - 大永元年9月17日(1521年10月17日))は日本の戦国時代の守護大名・戦国大名。室町幕府の播磨・備前・美作の守護。赤松氏当主。置塩城城主。七条政資の子で赤松政則の養子。幼名道租松丸。正室は赤松政則の娘。子に赤松晴政・赤松政元・赤松政道。生年は1470年・1472年・1490年・1494年などの説がありはっきりしない。

養父政則は嘉吉の乱で一時滅亡した赤松氏を再興した中興の英主であるが、男子に恵まれなかったので一門から迎えられた義村が跡を継いだ。 当主就任時はまだ幼少だったため、家老浦上則宗が権勢を振るった。それに反発した諸将との間で争いが起きるが、当時の幕府管領である細川政元がこれを仲裁している。 則宗や別所則治など政則時代からの有力家臣が世を去った後は、義母洞松院が義村の成人までの後見役を務めた。

京の幕府で政元の死後、前将軍足利義材(義尹、義稙)と現将軍足利義澄との間で権力争いが起きると、赤松家は先代の政則の代より阿波細川家(細川澄元の実家)と縁が深かったためもあり、義澄側の味方をしたが、船岡山合戦で義澄が敗退した後は、将軍に返り咲いた足利義稙(義材、義尹)と和睦する一方で義澄の子亀王丸を引き取って養育したりするなど、中央への影響力を依然として保持した。

成人し親政するようになった義村は重臣浦上村宗・小寺則職の補佐を受ける一方で、奉行制を導入し大名権力の強化をもくろむものの、権力が制約されることを嫌った村宗達の反発を受け、1518年には、村宗は居城の備前三石城に退去してしまう。これに激怒した義村は1519年、則職らとともに軍を率いて備前・美作の村宗の根拠地を攻撃し、一時は優勢になったものの浦上氏を支持する国人達の抵抗や村宗配下の名将宇喜多能家のため敗北を重ね、守護赤松氏の権威は失墜し、逆に播磨への村宗の侵攻を許してしまう。捕らえられた義村は隠居を余儀なくされ、その後何回か復権を図ったものの果たせず、最後は播磨の室津城に幽閉され、1521年、村宗の手により暗殺された。

家督は遺児の才末丸(のちの赤松晴政)が継ぎ、守護家としての赤松氏の名目上の存続は許されたが、赤松家はこののち衰退の一途をたどることになる。

名水播磨十水を定めたのはこの義村とされる。

辞世の歌
立よりて影もうつさし流ては 浮世を出る谷川の水

(たちよりてかげもうつさじ ながれては うきよをいずるたにがはのみず)


2009年01月22日

専用アプリケーションを使わずプログラム言語

オンラインゲーム(Online game、略してオンゲー。ネットゲーム、ネトゲとも呼ばれる)はコンピュータネットワークを利用したゲームの遊び方の一種、あるいはコンピューターゲームの一形態。専用アプリケーションを使わずプログラム言語、HTMLソース等での汎用処理を行い主にWebページで動作するゲームはCGIゲームやブラウザゲームなどとも呼ばれる。

なお、日本において「ネットゲーム」は遊演体の登録商標であり、この場合は同社が主催するプレイバイメールを指す
コンピュータネットワークを介して専用のサーバや他のユーザーのクライアントマシン(パソコン、ゲーム機など)と接続し、オンラインで同時に同じゲーム進行を共有することができる遊びを指す。インターネットが普及した後のオンラインゲームのほとんどはインターネットを介して接続するようになっているが、それ以前にもLAN環境を利用したりダイヤルアップ接続でアクセスしたりするものは存在した。

コンピュータゲーム、特にパソコン用ゲームにおいては、不具合解消あるいは新機能追加を目的としたヴァージョンアップのために製作元のサイトからパッチが提供され、そのダウンロードが必須になることがある。またソフトの不正コピー対策などのための認証にプレイ中ネットワーク接続が必須の仕様になっている場合もある。これらパッチのダウンロードや認証のためにオンラインであることが必要なだけで、他ユーザーとはゲーム進行が共有できない場合にはオンラインゲームには含めない。またゲームの進行中はオンラインである必要はないが、開始や終了時にプレイ内容などのゲーム情報などが送信され、ランキングその他の情報として集計されるシステムを搭載するゲームについてはオンラインゲームに含めることも含めないこともある。含めない場合にはこうしたゲームは「ネット対応」などと表現される。

オンラインゲームには既存のゲームのプレイ環境がオンラインに変わっただけのもの(オンライン囲碁、など)から、オンライン専用にデザインされたコンピューターゲーム(MORPG/MMORPG、など)まで、様々なバリエーションが存在する。

また、テーブルトークRPGのチャットプレイ(オンラインセッション)や投稿参加型のマルチユーザーゲーム(定期更新型オンラインゲーム)など、必ずしもコンピュータによるゲーム進行処理やリアルタイム処理を必要としないゲームプレイも、オンラインの場で多数のユーザーを集めて行うものはオンラインゲームと呼ぶこともある(それらのうち、概ねサーバ処理を介さず、WWWコンテンツベース+管理者裁量による進行で行われるものは、特に「プレイバイウェブ」と呼ばれる)。

料金制度は、ゲーム製作(運営)企業によりゲームサーバが運営されている場合、一部の小規模なものを除き、ユーザーが月額いくらかの利用料金を支払う事でゲームプレイ可能期間を購入する方法が一般的となっている。企業によっては、短期間の無料ゲームプレイが可能ないわゆる「お試し期間」を設け、新規ユーザー獲得を狙っているところもある。最近になってパイの取り合いが激しくなったこともあり、課金方式の主流が(特に韓国産オンラインゲーム等で)月額課金から、基本プレイ料金は無料だがゲーム内に登場するアイテムを販売して利益を得るアイテム課金へとシフトしはじめている。

また誰でも無料で参加する事が出来るオープン・ベータテストと呼ばれる公開テスト期間を、正式サービス開始前に設ける事により、ゲームの最終テスト、宣伝、及びユーザー獲得を同時に行うケースも増加している(これに対しあらかじめ限定された人間のみで行うテストをクローズド・ベータテストと呼び、通常はオープン・ベータテストの前に行われる)。しかし、無料ベータテスト期間中だけ遊び正式契約はせずに、また別のベータテスト期間中のゲームへと渡り歩くユーザーも存在する。

問題点

諸問題によるサービス停止
オンライン専用ゲームは、様々な理由で短期間でサービス停止になる場合がある。以下はその代表例。

トゥルーファンタジー ライブオンライン
開発途中で採算が合わないと判断され開発中止。
銀河英雄伝説VII
β版としてパッケージがリリースされるも版権トラブルのため、サービスが終了。
スター・ウォーズ ギャラクシーズ
管理会社のシステム管理が不十分で、修正パッチが出る度にバグが発生し、日本でのサービスが終了。
新規ユーザー確保および既存ユーザーの契約維持のため、近年増加しているインターネットカフェと提携して店内でのプレイを可能にしたり、契約解除されたユーザーアカウントを復活させるなどのキャンペーンなどを行っている。これらから(特に後発企業は)オンラインゲームでいかに採算を維持するか、新規ユーザーを獲得するかの難しさが伺える。

パッケージで販売されるゲームとは異なり、メーカーにとってサービス開始後も継続的にコストが発生する。そのため、ユーザーの契約を維持し解約させないために、ゲームシステムの設計が大量の時間を費やすことを必要としたものとなっているゲームが多いという指摘がある。

リアルマネートレード
ゲーム内の貨幣やアイテムを現実世界で売買する、リアルマネートレード (RMT) と呼ばれる行為がよく問題点として捉えられている。

行為の内容に関してはリアルマネートレーディングを参照

不正行為
他方、チートと呼ばれる不正行為の問題があり、これにおいてはゲーム提供側とチート行為実行者の間でイタチゴッコが続けられている。同行為が横行しやすい(言い換えればゲーム提供側のセキュリティ意識の低い)ゲームでは、利用者離れが発生するケースも見られる(行為の内容に関してはチートの項を参照の事)。

エミュレートサーバ
オンラインゲームにおいてゲーム運営・開発者とは、まったく無縁な非公式なサーバが海外・国内を問わず運営する個人や団体が存在する。これもひとつのチートといわれることもある、通常の公式サーバよりも楽にゲームが進むというメリットがあるため手を出してしまうプレイヤーが多いようだ(詳しくは、エミュレータ (コンピュータ)#ゲームサーバエミュレータの項も参照)。

DDoS攻撃
DDoS攻撃などの標的にされる場合もある。2005年4月9日よりはじまった、『ファイナルファンタジーXI』のネットワーク障害や4月16日からの『ラグナロクオンライン』におけるネットワーク障害がこれが原因であるとされる。DDos攻撃はIPアドレスの偽装などを行う為、特定できない場合も多く今後も継続的にこのような攻撃が行われるようならば、プレイ自体できないことに追い込まれ、ゲームとして成り立たなくなってしまう。

管理側だけでなくユーザー側も数々の問題を抱えており、課金を盾に運営会社に対して脅迫まがいの行動に出る者、ユーザーの質が低いと嘆き、精神年齢が子供程度と見られてもおかしくないユーザーが参加し、迷惑を被ったベクトルを管理会社に向ける者、果ては「このゲーム終わったな」など公の場で発言するなどのネガティブキャンペーンと呼ばれる行動もある。ただし、ユーザー側の問題については下記の依存症ばかり取り上げられる事が多く、上記の事象は滅多に取り上げられていない。
ダーラン サフィ サウンド サイド バング レウイ ルンペン レバノン ブラック シード バレー ソフトダ ロッシュ メロン シャーリ おおばなさ クリーン きゅうせき ケマン カイドウ くしびき ハーフ フェア ビリティ ユーエ モッツ ルヒル ヒューズ ライダー 幸福 リンクス マチン ユッケ スリラー YELLOW テレカ ゲート セッション 風の足跡 オンシ 艶姿 検索ジム バースト テレフ ハック プライ ダバード ワクシニア オーバ モンテ

依存症
オンラインゲーム依存症となる人もいる。学校・仕事を辞め外出せず、睡眠もほとんど取らずにプレイする人も存在する。例えば、ラグナロクオンラインのヘビー・ユーザーとして知られる声優の植田佳奈が「現実世界は出稼ぎ、ネット社会が現実」と発言して物議を醸した例がある。そのような人々は「廃人」などと揶揄され、引きこもりやニートを生んでいるという意見もある。声優の緑川光のように廃人をも超越した存在として「超廃人」と呼ばれる人も存在する。ロシア・韓国・中国では過度のネットゲームのプレイを行ったことにより身体に極度の負荷がかかり死亡したというケースも存在する。韓国では2005年8月にインターネットカフェで連続50時間ネットゲームをプレイして死亡するという事件も起きており、アジア諸国では社会問題となり、タイや中国では法によりプレイ時間が規制されている。[2]

ゲームの模倣問題
オンラインゲーム大国と呼ばれる韓国のオンラインゲームの一部は、既存のゲームのモデリングなどを流用したものも見受けられる。例としてWebZenの『Wiki』が任天堂の『ゼルダの伝説 風のタクト』以降のデザインを盗作し、任天堂が韓国の提携会社を通じて公式の警告文を送った。またNexonの『カートライダー』が任天堂の『マリオカート』シリーズの盗作と非難され(中国ではそのカートライダーを更に盗作したゲームもあり、色々と問題が起きている)、ネオプル社の『新野球』がコナミの『実況パワフルプロ野球』の盗作とされコナミから提訴されるなど、韓国の著作権などの甘さを浮き彫りにしている側面もある。

アイテム課金の弊害
『Seal Online』、『マビノギ』、『Master of Epic』等これまで月額課金を行っていたゲームが総じて接続無料のアイテム課金にシフトし始めている。アイテム課金に関しては韓国産オンラインゲームによく見られ、現金を使いアイテムを購入することでゲームプレイが有利になるように仕組まれている。逆に言えば同時期に始め、現金でアイテムを購入したユーザーとそうでないユーザーの間の差が広がりすぎること、それに伴いアイテムを現金で購入しなければゲームを楽しめないこと、接続無料によって気軽にゲームをプレイできる反面、外国人の出稼ぎプレイヤーや小学生など精神的に未熟なユーザーが多く流入し、今まで培ってきたゲームの雰囲気を壊すという問題もある。

その他
ゲームになれたプレイヤー(いわゆる中級者)になると、「ゲームに詰まった」「上級者に勝てない」と言う理由で初心者狩りを始めるプレイヤーもいる。 特に対戦を主眼とするオンラインゲームに多く、初心者離れを起こす原因となっている(特に『Gunz The Duel』などでこの現象が顕著である)。

中国や韓国では、オンラインゲーム上のトラブルが発端となり殺人事件にまで至ったケースが存在する。

また、2007年ごろから、感染するとゲーム内の通貨が盗まれてしまうコンピュータウィルスが多数出始めた

2009年01月15日

桃太郎(ももたろう)

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桃太郎(ももたろう)は、日本のおとぎ話の一つ。

桃から生まれた桃太郎が、お婆さんから黍団子(きびだんご)を貰って、イヌ、サル、キジを従えて、鬼ヶ島まで鬼を退治しに行く物語。

昔々、ある所に子供のいない老夫婦が住んでいた。ある日、お婆さんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れて来たので、お爺さんと食べようと持ち帰った。二人で桃を割ると中から男の子が生まれたので、「桃太郎」と名付けて大事に育てた。

成長した桃太郎は、鬼ヶ島の鬼が人々を苦しめていることを知り、鬼退治を決意する。両親から黍団子を餞別に貰い、道中にそれを分け与えてイヌ、サル、キジを家来に従える。鬼ヶ島で鬼と戦い、見事に勝利を収め、鬼が方々から奪っていった財宝を持ち帰り、お爺さん・お婆さんの元に帰り、幸せに暮らしたという。

優等生型桃太郎
お爺さんとお婆さんの期待通り働き者の桃太郎に育ち、自ら鬼が島に鬼退治に出かける。
寝太郎型桃太郎
優等生型と同じように力持ちで大きな体に育つが、怠け者で寝てばかりいる。村人や殿などに言われて鬼退治に出かける。

物語の成立については諸説存在し、それぞれ争いのあるところである。

有力説の一つとしては、第7代孝霊天皇の皇子彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、吉備津彦命)、稚武彦命(わかたけひこのみこと)兄弟の吉備国平定における活躍と、岡山県(吉備国)の温羅(うら)伝説に由来するものとする説がある。これは、古代の大和政権と吉備国の対立構図を、桃太郎と鬼の争いになぞらえたとするものである。 この説をもとに、桃太郎のモデルとなった人物が彦五十狭芹彦命であるとする見方が広く知られている。 これにちなんで、彦五十狭芹彦命の故郷である奈良県磯城郡田原本町では、桃太郎生誕の地として黒田庵戸宮(廬戸宮)を観光PRの一つとして取り上げている。

発生年代は正確には分かっていないが室町時代とされ、江戸時代以降に広まったとされる。草双紙の赤本による『桃太郎』『桃太郎昔話』などが出版により広まった最初の版であるとされる。

また赤本、豆本、黄表紙、青表紙などに登場した桃太郎は、滝沢馬琴の『童蒙話赤本事始』で五大昔噺の冒頭を飾る[1]。

明治時代初期までは桃を食べて若返ったお爺さんとお婆さんの間に桃太郎が生まれたという回春型の話の方が主流であった。この他にも『赤い箱と白い箱が流れて来て、赤い箱を拾ったら赤ん坊が入っていた』、『川上から2つの桃が流れて来たのでお婆さんが「緑の桃はあっちゃいけ、赤い桃はこっちゃ来い」と言うと赤い桃が寄って来た』など、物語に差異のあるものが多数伝わっているが、巖谷小波により1894年に『日本昔話』としてまとめられたものがその後の語り伝えに大きく影響した。明治20年に国定教科書に採用される際にほぼ現在の形のものを掲載して以降、これが定着した。因みに舞台の一つとされる岡山県で桃の栽培が始まったのも明治時代以降である。

桃太郎の姿が、日の丸の鉢巻に陣羽織、幟を立てた姿になり、犬や鳥、猿が「家来」になったのも明治時代からである。それまでは戦装束などしておらず、動物達も道連れであって、上下関係などはない。明治の国家体制に伴い、周辺国を従えた勇ましい日本国の象徴にされたのである。

またその誕生の仕方も『たんす』や『戸棚』や『臼』に入れておいた桃が自然に割れて男児が誕生するなど一様でない[2]。

また、香川県では桃太郎が女の子だった、とする話がある(生まれてきた女の子があまりにも可愛らしいので鬼にさらわれないように桃太郎と名づけた)。

その後語り、絵共に様々な版が生まれ、また他の創作物にも非常に数多く翻案されたり取り込まれたりした。落語の『桃太郎』などもその一例である。

なお、太平洋近海の国に伝わる御伽噺に『樽』や『果実』の中に入った子供が出てくる話が多数あり、日本人の先祖の一つに海洋民族があることを示している証拠だとする説もある。

また別伝では川から拾った桃を食べた老夫婦が突然若返って、男子を産んだという展開もある[1]。

また岡山県を中心とした地域には、横着な性格と大力を持った隣の寝太郎型の桃太郎も多い。鬼退治にしても鬼を海中に投げ宝物をとって帰ったり鬼に酒を飲ませて退治する例もある[2]。

岩手県の桃太郎は父母が花見に行った時に拾った桃から誕生。地獄の鬼から日本一の黍団子を持って来いと命じられ、地獄へ行き鬼が団子を食べている隙に地獄のお姫様をすくう。婚姻譚を伴う桃太郎である[1]。福島県の桃太郎も山向こうの娘を嫁にする話。黍団子の代わりに粟・稗の団子の設定の高知県の話。またお供も猿・犬・雉ではなく石臼・針・馬の糞・百足・蜂・蟹などの広島・愛媛県の例もある。地方には多様なバリエーションがある[1]。

また説話 (中国)の西遊記の一部の本には川から幼少期の陳江流(後の唐三蔵)が桃太郎のように流れてくるという陳光蕊江流和尚の節をもつものがある。孫悟空(猴)、沙悟浄、猪八戒(豚)も桃太郎の三つのお供に似ている。ルーツを同じくする説話とする説もある[要出典]。

語り部によって、桃が川に流れている描写を「どんぶらこっこ すっこっこ」、「どんぶらこ どんぶらこ」などと表現する。